号泣2006

2006年1月2日
2005年はなくことがなかった。
でも今それ以上に涙が出た。

さっきの日記でも書いたが、とあるサイトで昔のゲームのMIDIを発見して聞いていた。
どれも兄と仲がよかったころのゲームで、なつかしく思ったので今でも手に入れることができるのか探してみたくなったので、まずはSAGA2を検索してみた。
今では通販や購入することはできないみたいだが、あるフラッシュをみつけた。

SAGA2の思い出っていうFLASHだっけな。
内容はみてもらってほしい。

最後のほうで涙があふれ出してきた。
僕はその時代に生きてきた人間だから、兄と仲がよかったときのことを思い出にかさねながら、その作品の光景を頭に浮かべていた。
その作品が事実であれ作り話であれ、あのゲームを知っているから、そういうことがあったのかと思ってしまう。

当時は入院する子で発売したばかりのゲームボーイを病院にもってきてた子がいたのよ。

小さいころの僕は兄がゲームボーイで遊んでいるのを横から見ていたり、ファミコンやスーパーファミコンをしているのをコタツの中から見ていた。
だからそれらのゲームの音楽は今でもすべて覚えてる。
兄の横から読んでいる漫画を見ていると邪魔だとよくいわれた。
そんなこともあった。

ゲームは難しいものだって、だから兄のしているのを見ているのが僕にとってゲームだった。
だって、兄のセーブ強かったし、僕にはとてもできないって思ってた。
兄のセーブデータをコピーしてもらうくらいだった。

そんな思い出がどんどんでてくる。

音楽で思い出し、その音楽のゲームを探し、そのゲームの話でさらに昔を思い出した。

今では戻らない過去。
過去って嫌いだった。

でも戻りたくないけど、何も考えないでも明るく過ごしていたあのころの記憶は僕の宝なのかなって思う。
もう兄とは普通に話せないけど、あのころの話、そのうち、いつかできたらいいなと思う。

そんなことを思い出しながら、そのフラッシュを見た。
せつなかった。

なんで見舞いにいけなかったのか。
悔やまれる。
だけど、ゲームに託した女の子の想いは自分の最後を覚悟しながらも少年を思う気持ちで満ちていたと思う。

悲しいよ。
せつないよ。

そんなひとりひとりの時間のずれが、こうした感動を生むんだね。
そんな感動いらない。
感動より涙より、あわさった時間のほうがほしい。
あとでこうなるならそうならないようにしたい。

変なこだわりや考えを捨てて、何ができるかしていきたいと思う。
お願いだから、こんな悲しみのない世界になってほしいです。

悲しくて涙流して、生きててよかったって思った。
こんなに悲しいって思えるんだもの。

変かもしれないけど、こんなに涙流していることがすごく生きている価値があると思った。

僕は甘えん坊に育ったから、今では自分に特に厳しくしている。
だからこんなに素直な涙流すことなかった。
厳しい現実ばかりみてると、素直になれるときってすくなくて。

ひとりじゃ悲しすぎて、友達と会話してた。
友達が言った。

いいんだよ、厳しくしなくてもさ。
自分が子供であること、その一面をちゃんと認識してればいいんだよ。
それが大人の頭だよ。
心はいつだって、素直に物事に感動できる心でいたいじゃない?
感情に素直でいたいし、ただそれを、認識できる頭があればいいんだよ。

大人だ経験だってえらそうなこといわないで、信じてるものすべてにとらわれないで、自分を押さえつけないでいいんだって思った。

僕の感情も記憶もいい思い出も、存在する。
そのままあるんだ。
あせることない。
いい思い出は心の中に。

今変な環境におかれてその思い出を見つめていられなくても、未来見つめられる日が来るって。
兄と話せるかな。
ゲーム探しておこう。

とにかくなきました。
(;´Д`)ノシ

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