考えた

2006年5月11日
強迫性障害の発作がおきたとき、儀式をするけど、その儀式が失敗したときかなりパニックになる。
それが回数で決められたことでも、時間と偶発的なことという自然に決められたことの中でできるかできないかがでてしまう。
つまり時間に間に合わないとき回数を増やすことは難しい。

儀式や回避行動の変わりに自分を安心させることはないのか?
そう考えた。
回避行動によって未来に起こってしまうのはだめなことを心配することを抑えることができる。
しかし、回避行動は時々失敗する。
失敗したときはどうしようもない不安に襲われる。
今日はそういったことがたくさんあった。
でも、現実ではそのような不安だったこと、心配だったことはなく、ハッピーに時が進んでいる。
そうなると、回避行動そのものが心配を解消するための一時的な妄想であるわけだが、そのときにおいては本人にとってとてつもなく気になる妄想であるから、冷静に回避行動を抑えられない。
回避行動を抑えれば次にまた回避行動が増えることもない。

私が発作を起こすとき妄想してしまうキーワードは、やくざ、ほすと、殺人などである。
それがおきてほしくないと願うことで回避行動に走ってしまう。
現実では関係のない言葉だが、思い込むとすぐには消せない。

こんなことを思うたびに回避行動をしていては苦しい。
回避行動がうまくいかなかったときはさらに苦しい。
でも、回避行動をしなくてもすむ方法が何かある。

その何かさえあれば、あー考えなくてもいいんだともう少し落ち着いていられる。
それを見つける。
(;´Д`)ノシ

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索