自己解放。

2006年9月7日
お前らぶっ殺す。

怒りと疑問がふつふつとわいてくる。

今日すぽーつじむにいった。
前々回、土曜日は時間があったにもかかわらず、キリンさんと満足できるまで話ができなかった。
前回はそのせいか、キリンさんのいない火曜日の前日からうつになって、元気がなかった。

そして、火曜日の夜にうつはなおった。
水曜日の一日で元気になった。

それで、私はキリンさんのいる今日木曜日に飛び切りの楽しい話ができるように元気で明るい自分をつくりだし、おっけいおっけいの精神でのぞむことにしていたんだ。

最初はよかったが、強迫性障害にはばまわれ、キリンさんの業務の邪魔をしないように気を遣っているうちに時間がなくなってしまった。

それでだ。
トレーニングの終わって帰えるまでの数時間、ここが最大のチャンスだった。
しかし、今日は違った。
その前に私がキリンさんのため、すぽーつじむのために手伝っていたチラシ折りを、参加してきたかおなじみの人がいた。
その人が元気なキャラで、口も弾むし、調子もよくて、それからずっとその人の主導権で話が続いた。
キリンさんもその人のほうを見てばかり。

ここぞとばかり、話題が健康関連のことに。
私の健康術を伝授したり、たばこの悪い影響や障害を話したり、私のここ数日間と、今までの知識で、健康について話した。
それも、最近知った、キリンさんがたばこをすっているということに関して、やはりイメージとギャップがあって、でも健康になってもらいたいから調べた知識だった。
しかし、それらは拒絶された。
言葉では、努力します、がんばりますと健康をすばらしいといってくれたが、心の中じゃそんな意識してないだろう。
そして、たばこすいます、酒飲みますという共通の話題をキリンさんとその人がずっとしていた。
仲間意識か。
同じことをしているからそれがあたりまえで、それが心をつなげるという、同じことをしているから、傷のなめあいや理解ができるという、楽になりたいから健康なんか興味ないし、そんなの努力しないで自分のままで生きているという共感で盛り上がっている人間。

なんだよその目。
珍しいものを見たかのような、疎外感。

そして、中には好きな食べ物は何か聞かれた。

ないと答えた。
おいしいって思わないと人間じゃないというような目と言葉をぶつけられた。
グルメであることがあたりまえで、それ以外は情報を共有できないいかがわしい存在。
心の奥まで入ってきてほしくないという疎外疎外。

自分たちの情報がすべてで、それに合わないものを拒絶する。
そして自分はそんなもの信じないと受け付けない。

健康で規則正しい生活を広めようとしている私は間違っているのか。
そうやって、なあなあで生きていることが一般的で、あたりまえなことだから、身も心も健康を目指している人間は油断のできない敵なのか。

人間ってやつは、変わったものを拒絶するのか。

私は、変わっていることに自信を持って生きてきた。

でも人間は拒絶する。
変わっている人間を拒絶する。

変わっていたらいけないのか。
カリスマ以外は変わってちゃいけないのか。

みんな同じで一般的で、同じ話題を話せるにぎやかな人間でなければならないのか。

変わってる人間は

   生きていてはいけないのか?

拒絶されたら終わりだよ。

ここ2年がんばってきた苦労も何にもならない。
人間の気持ちなんて、どれだけ時間をかけてがんばっても、一瞬の移り変わりでなくなってしまう。

そうだよ、キリンさん。
あんただって、楽しくて明るい人間がいいんだろ。

一度は私のことを癒されるっていってくれたけど、結局変わった人間だからそれ以上の深い気持ちはないんだろ。

2年間がんばって、キリンさんと話をするためにすぽーつじむに通ってきた私は何にもならないのか。

なんで、人間は。
変わった人間を認めてくれないんだ。

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