悲しいお話。

2006年11月10日
ある便利屋さんがいました。
その人は人々に親しまれていました。
気遣いの名人でした。
人が困っていると熱心に聞き、人が病気で苦しんでいると本気で心配になって看病をして、人が頼みごとをするとまじめに笑顔で引き受けていました。
ある日、便利屋さんは病気になりました。
便利屋さんは普段自分が他人にしてあげているようなことをできるだけしました。
そして人にはいつものように笑顔を振りまいていました。
しかし病気は悪くなるばかりで、医者に診てもらう暇もなく月日が流れました。
ついに動けなくなってしまった頃、人々はというと最近みないねぇと心配を口にしていました。
心配は言葉だけでだれも自分から見舞いには行きません。
忙しい忙しいというばかり。
誰も見舞いに来ないことにみんな忙しいからこれないんだなと気遣い、寝たきりの男は誰かがきてくれることを期待しませんでした。
いつしか人々はあの人がこないと寂しいだとか仕事が終わらないだとか不便だとか口にするようになりました。
そして人々は自分でできることは自分でするようになり、寂しさは別の人で埋めるようになり、病気になれば別の人を呼び、頼みごとは別の人にするようになりました。
いつしか男の存在など忘れていました。
男は悲しんでいました。
我慢の末叶わなかった夢。
今まで我慢していて楽しかったことはなかったと。
自分は何のために生きたのか。
人の気遣いだけしかしてこなかったことを悔やみました。
自分がつらい時人は真剣に見てくれなかったと思うと寂しさは我慢できません。
これが真実。

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