あのコメント

2007年2月3日
「産む機会」発言で世間は問題になっているが。
テレビに映る街中の女性は「傷ついた、いい気分ではない」ということを叫んでいるように報道している。
野党代表も「私が女性の代表として許さない発言だと訴えます」というようなことをいっている。

ひとつ思った。

なぜ、否定しない?
傷ついた、遺憾だとはいっている。
しかしなぜそれを「それは違います」とまず否定しない。

それは現実的に図星だからじゃないのか。
子供を生んでいる以上。
セックスをしている以上。

言葉で表現していることは、自分を美化させることばかり。
実際は性に流されてどろどろしているから。
いわれてもしょうがないことをしてるから。

現実は受け止める、よくいわれる言葉だ。
自分が女性として生まれた以上、子供を作ることを期待される。
だから、結婚をして子作りするのがあたりまえと。

なぜその「運命、宿命」とやらに一定の諦めを持っているんだ。
だから、傷ついたと被害者意識を発していながら、内心認めざるを得ない発言にとどまっている。

女はただ、男が欲望を満たすために「愛」だの「子作り」だのロマンに理屈つけてセックスしたいだけという一連の欲望を満たされるだけの器として扱われていることを知らないで身を任せて生きているのだから。
知っていて、理解のある人ですら、その男が「見た目のきれいさ、興奮する体型、自分に都合のいい性格」の性欲望を満たすためだけに自分が所有されることを受け入れる形で、その男にすがっていきるために自分を失ってもいいと人生を依存させている。

男性側も、「倫理的に問題がある」と一定の批判はしているが、内心そんなに関心はないのだろう。
そもそも「許せない発言だ」などと批判できない立場にいるのが実際のところだろう。
根拠すらもてないから。
なにせ、何度も言うがセックスしたくて、性的に興奮したくて女性に近づき、子作りがしたいと証してセックスしている。
自分は性的な行為をしない、そのような目でみてはいないと断言実行できる人間などいるのか。
純粋を語ってるやつ、愛を語ってるやつ、女は苦手といってるやつですら、セックスした経験がある以上その程度だ。
「愛とかロマンとかを匂わせて、まるで自分が運命の人だとロマンを語り信じ込ませてその気にさせて、隙をつくりだしセックスする」隙さえあればセックスまで持ち込みたいという、どこに行き着けどそんなことばかり。

堂々と性的な生活をしている人間はわかりやすいが、「自分は性的なことは嫌いだ、自分は違う、自分は清い聖人だ」と言い張っている人ほど、批判できないだろう。
癖の悪い性愛好者とでも。
八方美人なだけで、いってることとしていることはギャップがある。

愛という言葉をえさにセックスをしたいと思ってる男性が、女性をものとして考えていないはずはない。
だから、騒動の発端となった女性の表現に文句をいうことなんて矛盾している。
自分はきれいさっぱりなんだと見せてるやつほど腹黒い。

ばかばかしいよ。
気持ちよくなる道具として扱われている女性が。
気持ちよくなりたいだけに生きている男性と。

完全に批判するなら、独身貫いてみろよ。
影でこそこそ恋人つくってんじゃねえよ。
家庭にあこがれてんじゃねえよ。

隠していい顔するのが大人なのかよ。
そんなのばかりだから倫理がなくなる。
都合の悪いことから逃げることばかり覚えてえらそうにしてる。

人間という生態のしがらみからぬけだそうとするやつはいないのか。
こういうことを疑問に思わないのかよ。
自分の黒い部分を見ないようにするやつは最低です。

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