神と魔王

2007年4月1日
どちらも、人間離れした、創造と破壊の持ち主である。
しかし、人間はどちらにでもなれる。
むしろ、ふたつはもともと人間の苦労を重ねて成り果てた姿なんだろうと思う。

ふたりとも最初は勇者だった。
人々から好かれ、希望に満ち溢れた勇者だった。
彼らは、たくさんの仲間と出会い、冒険した。
そして、悪党なるものを正義の名の下に倒していった。
すべては、世界の人々のために。

冒険も終盤に差し掛かるころ、仲間や、出会う人々の思いに触れることが多くなる。
そこで、ふたりは青春を経験することになる。
周りは、彼を好きだといってくれる。
彼とともに旅ができてうれしいといってくれる。
彼がおった傷は癒してあげようといってくれる。
勇者はうれしかっただろう。
自分に間違いはないと。
しかし、人間は、だんだんと矛盾してくる。

仲間が、最後までお付き合いしますとついてきてくれた、信頼なる人が、急にこういいだしたりする。
ほかの仲間と結婚して平穏な生活をするから、最後までいけないと。
ごめん、とあやまられる。
それまで、まるで家族のようにともに戦い抜いてきた日々。

そうかと、心を広く保とうとする勇者。
しかしそれは、一人だけじゃなかったりする。
次々と出会っては、仲間と仲間がくっつき、戦場から立ち去る。
世界のために戦う勇者。
世界のためより、自分のことを優先にした仲間。

続く仲間の離脱に、こう聞いてみる。
であったころは、最後までともに戦うといってくれたじゃない。

するとこう答える。
昔は昔、今は今。

責任もない言い訳。
そしてそういうのはほとんど自分を大人と豪語している人。
大人は責任って言葉が大好きなくせにね。
自分の矛盾した行為は隠し、多めに見るのか。
責任は大事、でも自分は矛盾を許す、大人。

だんだんと気づいてしまった勇者。
本当に最後までともに戦ってくれる仲間はいるのか。
むしろ、仲間を信頼し好きになっていいのか。
信頼したら、苦しくなるだけ。
だんだんと、人間の本質がわかってくる。
勇者が成し遂げようとしている偉業は、世界の希望かもしれない。
しかし、人間は適当に希望を願うだけで、根本的にしょうがないという言葉にさめている。
気づいていない、自分の暗闇を。

清く純粋な希望を世界を守るために戦う勇者。
それを応援する世界の人間。
しかし、そんな世界にしているのは、自分に無関心な人間だ。

仲間だけでなく、人そのものに一定のとまどいを見出す勇者。
自分がしていることはなんのためなのか、わからなくなる。

神になった勇者。
人々の意思が、こんなにも優柔不断であることに気づき、それに振り回されるのであれば、この世界はいづれ滅ぶと、見極める。
だから、自分に近づいてくる人とは、一定の距離を置くことを自分が消えるまで貫き通す。
素敵だと近づく人がいても、たぶんそれは言葉だけ。
自分が信頼してしまえば自分だけ傷つく。
たとえ、本当の意味で素敵だと寄り添ってくる人間が現れたとしても、最後まで一定の距離を置いて、見守るだろう。
自分は最初から最後まで第三者であり、世界が終わることを知っていても、人々のうつりかわりを、またか、と眺めているだけ。

魔王になった勇者。
人間の自己中心的さに裏切りに苦しみを募らせ、自分は今まで何をしてきたのかと問い、人間そのものに憎しみを感じるようになり、人間にあきらめを持つようになる。
誰であっても人間は人間、己の醜さに気づくやつなどいないと考えて、片っ端から殺戮を始める。
他人を手下にしようとはせず、自分の武器ひとつで不純な人間を消していく。
たとえやさしくされてもだめ。
人間のあたたかさを説得されてもだめ。
近づいてくる人すべて切り落とす。
自分の意志を人生をゆるぎなく貫き通した人間だけが、納得させることが、とめることができるだろう。

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