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苦しみ
2008年6月20日最近は平均的な状態はロボットに近い。
昔みたいに感情のままに荒れ狂うこともなくなって、暴走も起こすことはめったになくなった。
でも完全に感情がなくなったわけじゃないようで、どうやら心の奥に封印されているみたいな感じなの。
ときどきうなるように、苦しみがこみ上げてくるのはそのせいかもしれない。
そう思ってその扉を開けて原因を突き止めようとするんだけど、あまりにも嵐のようにごちゃごちゃしてて、のぞきこんだ瞬間に大きな不安に飲み込まれそうになる。
不安というより、大きなネガティブ心かな。
僕はだめだ、だめだ
そんな鼓動がどんどんとおしよせてくる。
一日に一回はおしよせてくる。
だめじゃない、だめじゃないっておしかえす。
ふりはらっておしかえす。
でもそうすると、結局扉は閉まって何が原因だったのかわからないまま、ネガティブや不安の元を見つけることができなくなっていた。
完全にあけてしまったら、たぶんすべての感情がいっきになだれ込んできて、混乱に陥ってしまうような気がして、涙がとまらなくなってしまいそうな気がして、よういにはあけられなくて、でもいつかはあけないと、私の心はどんどんむしばまわれていってしまいそうで、でも、爆弾を解体するときのように、リスクが大きくて面と向き合えなかった。
でも、今日は少しだけ、自分の力を借りて見てみた。
私が作り上げた強い自分の象徴にかばってもらいながら、少しだけ心の奥を開放して、自由にしてみた。
私は本当に、心のつながりを最初から求めている人間だった。
心に執着し、心のみを求める人間だった。
心というか、思想かな。
永遠や運命という言葉さえ甘く喜ばしく感じた。
でもその結果、私と相性のよくない人間に振り回されることになった。
永遠や運命という言葉を巧みに使い、振り回した挙句、興味がなくなればまったく関係のないものにしてしまう人間。
そしてついには、心のつながりが重要と歌いながら、信頼が大事と歌いながら、築き上げた信頼を本能という野生の感、心の発達ではない野性の感覚によって一瞬にくつがえされてしまう現実、簡単に言ってしまえば、無条件の本能による興味を優先させてしまう人間に虐待されてきた。
虐待は言い過ぎかもしれない、しかしそれくらいのものとしてとらえたほうがわかりやすい。
結局は体関係を持つことが恋愛の決定打、最終目標であり、その期間は長くても短くても、結果繁殖にいたればそれでいいというもの。
繁殖することが人間、動物の本能であり、恋愛という言葉できれいにかざりつけられているもの。
心のつながり、心のつながりと歌われてはいるけど、それですらかざり程度に終わってしまう。
何度も何度も言い続けた、だからまたかと思われてしまうかもしれない。
でも私の傷はここにあるのだと思う。
私はセックスなんてどうでもいい。
ばかばかしいけど、メルヘンチックかもしれないけど、セックスなんて最初から頭にない。
完全な心の世界だけを求めていた。
それだけに、心の世界に夢見ているだけの、本当は体も使わないと落ち着けない、本来の本能のままに生きている人間に、振り回されてきた。
本能はよくないことじゃない、あたりまえのこと。
でも私にとっては本能のままにあること、心の発達とは無関係の、体の発達による、瞬間的な興奮、恋愛という興奮状態に陥りやすい人間とは相性がよくなかったんだ。
世界のすべてにそういう人がはびこっていると思うと、私は怖くなった。
私の好きな人たちが、私のことを好いてくれている人たちが、明日には私のことをどうでもよくなっているかもしれない。
一日として持たない好きという気持ちをみんなもっているとしたら。
みんなが一日として好きという気持ちを維持できないのだとしたら。
そんな怖さにおびえた。
そして寂しくなった。
そしてくやしくなった。
そう。
私の心を傷つけているのはその三つ。
怖い。
寂しい。
くやしい。
自分が明日には独りぼっちにされてしまうのではないかという、人への不信感による恐怖、恐怖が去った後に一人ぼっちになったときの寂しさ、私から人をうばっていくひとにたいするくやしさ。
涙が出た。
ひさしぶりに。
昔みたいに感情のままに荒れ狂うこともなくなって、暴走も起こすことはめったになくなった。
でも完全に感情がなくなったわけじゃないようで、どうやら心の奥に封印されているみたいな感じなの。
ときどきうなるように、苦しみがこみ上げてくるのはそのせいかもしれない。
そう思ってその扉を開けて原因を突き止めようとするんだけど、あまりにも嵐のようにごちゃごちゃしてて、のぞきこんだ瞬間に大きな不安に飲み込まれそうになる。
不安というより、大きなネガティブ心かな。
僕はだめだ、だめだ
そんな鼓動がどんどんとおしよせてくる。
一日に一回はおしよせてくる。
だめじゃない、だめじゃないっておしかえす。
ふりはらっておしかえす。
でもそうすると、結局扉は閉まって何が原因だったのかわからないまま、ネガティブや不安の元を見つけることができなくなっていた。
完全にあけてしまったら、たぶんすべての感情がいっきになだれ込んできて、混乱に陥ってしまうような気がして、涙がとまらなくなってしまいそうな気がして、よういにはあけられなくて、でもいつかはあけないと、私の心はどんどんむしばまわれていってしまいそうで、でも、爆弾を解体するときのように、リスクが大きくて面と向き合えなかった。
でも、今日は少しだけ、自分の力を借りて見てみた。
私が作り上げた強い自分の象徴にかばってもらいながら、少しだけ心の奥を開放して、自由にしてみた。
私は本当に、心のつながりを最初から求めている人間だった。
心に執着し、心のみを求める人間だった。
心というか、思想かな。
永遠や運命という言葉さえ甘く喜ばしく感じた。
でもその結果、私と相性のよくない人間に振り回されることになった。
永遠や運命という言葉を巧みに使い、振り回した挙句、興味がなくなればまったく関係のないものにしてしまう人間。
そしてついには、心のつながりが重要と歌いながら、信頼が大事と歌いながら、築き上げた信頼を本能という野生の感、心の発達ではない野性の感覚によって一瞬にくつがえされてしまう現実、簡単に言ってしまえば、無条件の本能による興味を優先させてしまう人間に虐待されてきた。
虐待は言い過ぎかもしれない、しかしそれくらいのものとしてとらえたほうがわかりやすい。
結局は体関係を持つことが恋愛の決定打、最終目標であり、その期間は長くても短くても、結果繁殖にいたればそれでいいというもの。
繁殖することが人間、動物の本能であり、恋愛という言葉できれいにかざりつけられているもの。
心のつながり、心のつながりと歌われてはいるけど、それですらかざり程度に終わってしまう。
何度も何度も言い続けた、だからまたかと思われてしまうかもしれない。
でも私の傷はここにあるのだと思う。
私はセックスなんてどうでもいい。
ばかばかしいけど、メルヘンチックかもしれないけど、セックスなんて最初から頭にない。
完全な心の世界だけを求めていた。
それだけに、心の世界に夢見ているだけの、本当は体も使わないと落ち着けない、本来の本能のままに生きている人間に、振り回されてきた。
本能はよくないことじゃない、あたりまえのこと。
でも私にとっては本能のままにあること、心の発達とは無関係の、体の発達による、瞬間的な興奮、恋愛という興奮状態に陥りやすい人間とは相性がよくなかったんだ。
世界のすべてにそういう人がはびこっていると思うと、私は怖くなった。
私の好きな人たちが、私のことを好いてくれている人たちが、明日には私のことをどうでもよくなっているかもしれない。
一日として持たない好きという気持ちをみんなもっているとしたら。
みんなが一日として好きという気持ちを維持できないのだとしたら。
そんな怖さにおびえた。
そして寂しくなった。
そしてくやしくなった。
そう。
私の心を傷つけているのはその三つ。
怖い。
寂しい。
くやしい。
自分が明日には独りぼっちにされてしまうのではないかという、人への不信感による恐怖、恐怖が去った後に一人ぼっちになったときの寂しさ、私から人をうばっていくひとにたいするくやしさ。
涙が出た。
ひさしぶりに。
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